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 小倉祇園太鼓の両面打ちは全国でも珍しい打法です。太鼓の音の持つ意味は、天下泰平、
国土安泰、五穀豊嬢、商売繁盛、家内安全を祈願したものです。
 昔は囃子言葉も「あっやっさ、やれやれー」と唱和するだけでしたが、今は阿南哲郎作詞の
囃子が、引き綱をひく可愛い子供たちの声にのり、祭りをより一層賑やかに盛り上げてます。
 
無 法 松
 太鼓祇園を背景とした、岩下俊作氏の名作「豊島松五郎伝」を脚色した、向こう見ずでありますが、純情無垢の心と、愛すべき侠気の持ち主、松五郎が主人公である「無法松の一生」の映画化により小倉祇園祭は日本全国に広がり有名になりました。
特にカンヌの映画祭では「グランプリ」を獲得して世界各国の人々にまで知られるようになりました。無法松がうちまくった暴れ打、流れ打の響きが遠く高くこだまするようです。


無法松の碑


ドロ< 濁 >

カン< 甲 >

ジャンガラ< 摺り鉦 >

 太鼓の皮を張り方で、一面は甲高い音を出し、他面は少しにぶい濁音が出ます。
甲高い方をカン(オモテ又はホンとも云う)といい、濁音の方をドロ(ウラ又はモトとも云う)
といいます。もちろんドロとカンとでは全く打ち方が違います。
 
 ドロ(濁)は単調で、正しく平調にリズミカルに打ちます。このドロは正しく売っていないと、
カンが打ちにくいので、ドロがいわば基本調になります。

 カン(甲)の打ち方は難しく、技術を要します。若者達が踊ったりして打ちますが、
あれはあまり上品な打ち方とはいえません。ゆっくりと正しく格調をもって、元気いっぱいに
歩調を合わせて打つのが正しいのです。
 要するに腰を柔らかくして、手首と膝で打つのが秘訣とされ、地味に叩いて、品よく打つのが
古法とされています。
 

 ジャンガラ(摺り鉦)は太鼓の調律をリードするので、ドロ・カンをマスターした人がこれに当たります。

 最近はおどり打ちなどと称して、奇妙な恰好をみせて跳ねたり飛んだりするものがありますが、それは厭や味でやはり品よく、しかも力いっぱいに打つ、地味にたたいて、よく鳴らす、というのが正道である。

 祇園太鼓には原則的な打法、その基本的なリズム、とういものはあるが、その原則や基本を崩さない範囲で各人各様の工夫をこらしている。それが祇園太鼓を画一単純にしないおもしろさだといえる。

 いわば親から子へ、町内の先輩から後輩へと伝えられてゆくわけで、そこに流儀というものが生まれることになる。

(昭和四十五年三月 劉 寒吉 記  「北九州市の民族芸能」より)

 





 昔の祇園太鼓は、六尺棒で太鼓を前後で担い、中央に小提灯をつるした笹竹を立て、双肌ぬぎの若衆たちが元気一杯に打ちながら進んだものだそうです。この時の若衆の足さばきは、外八文字形にゆっくり歩きながら格式張った打ち方といいます。担方は地方から雇入れて世話人が惟巾の上から呂の羽織を着て片手で太鼓の棒尻を押え、早くあるかないように調節をとり、ついて廻っています。ドロもカンも調子よく合わせないと太鼓がゆれてうちにくいので、なかなか熟練を要したものです。そこで現在のような、踊り打等はとうてい出来なかったと古老は話しておられます。太古がゆれると担方人夫が肩が痛むといって嫌がったと云います。
 打法にういては、古老はそれぞれ主張されますが、幕末頃の名人としては、御祐筆(城内の書記役)で、小野某と称する人が、最も上手で、この人の手ほどきを受けた人々が船町の速水精一さん、古船場の一色計雄さん等、数人居られます。何れにしても、元気一杯に叩くのが本式であると、竪町の鉄井清さんは主張しておられます。

(昭和三十二年発行 大隈岩雄 著 「小倉太鼓祇園」より)

競演会の見方
 引き手の歩行と、元気な祇園囃子が、打ち手と一体となって、全体的にチームワークがとれていること。
 打法の基本は @バチは端をもち、立てて、横打ちとすること
Aジャンガラ(すり鉦)は左右を胸の前で、上下にすって音を出すこと。
Bジャンガラの位置は、前方のドロ及び後方のドロ約90cm前後に位置すること。
C笛、フライパンなどは使用を禁止する。
 服装は @揃い浴衣又は法被とし、浴衣の裾は後ろ裾のみからげること。
A原則として、向こう鉢巻、白足袋、草履を着用し、全体的に品位を保つこと。
Bもろ肌脱ぎ、片肌ぬぎ、頬かむりなどは慎むこと。

 

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